TJKリゾート金谷城は、海城『金谷城』の跡地に建てられています
一般的にイメージする天守閣があるようなお城ではなく、戦国時代に山の要害性を使って築かれた『山城(やまじろ)』と呼ばれるお城です。堀を切ったり土塁を盛ったり地形をうまく活用して敵の侵入を阻んでいました。
また、金谷城は東京湾を見下ろすその地形から、海の見張り、湊(港)を管理する役目を持つ『海城(うみじろ)』でもありました。対岸には三浦半島があり、海上交通の要所、東京湾の防衛として重要な場所を守っていました。対岸の三浦半島の小田原北条氏とは、海を舞台に長きにわたりに抗争が繰り広げられた歴史があります。
金谷城は鋸山から北に伸びる、海に面した急峻な丘陵に築かれました。
眼の前には房総半島と三浦半島を結ぶ浦賀水道が通り、東京湾を挟んで三浦半島を指呼の距離に臨むことができます。この景色からも、金谷城が水軍拠点である「海城」だったことが容易に想像できます。
金谷城は16世紀中頃には里見実堯の居城だったと考えられています。
里見氏が対岸の三浦半島を領する小田原北条氏と戦闘状態になると、現在の鋸南町にある里見氏と関係の深い妙本寺の日我和尚が金谷城に経典などを持って逃げ込みました。しかし、金谷城も戦火に遭い、それらの寺宝は焼失したといいます。
このことから、金谷城が里見方の城として、戦乱の緊迫した状況下に置かれていたことが分かります。
その後、金谷城には里見氏配下の内房正木氏が入りました。内房正木氏は一時期小田原北条氏に属し、その際、金谷城は北条方の城となりましたが、再び内房正木氏は里見氏に属し、里見方の城として、1590年の豊臣秀吉による小田原の役をむかえました。
このように金谷城は里見氏、北条氏という戦国大名家が奪い合うほど、重要な城だったのです。
金谷城から目の前に広がる海を眺め、戦国時代の江戸湾を巡る攻防戦、そしてかつての金谷城の姿を想像して歴史ロマンをお楽しみください。
山城ガールむつみさんに〝海城〟金谷城の魅力についてナビゲートしていただきました。ぜひご覧ください。
自身主催のイベント、自治体の講座、小学校への出張授業、山城バスツアー、カルチャースクール講師などを通して歴史の楽しさ、大事さを伝えるべく活動中。
地域歴史コンサルとして埋もれた歴史の掘り起こしを行い、地域活性化の活動も行っている。
「⻁⼝」とは、お城の出⼊⼝のことです。TJKリゾート⾦⾕城のエントランスから庭に出て、右に少し進むとその跡があります。ここにはかつて、岩盤に⽳を掘って四つの柱を建てた「四脚⾨」がありました。
TJK リゾート⾦⾕城の⾃慢は東京湾を望む、絶好のロケーションです。⾦⾕城はまさに、その海を⾒張るために建てられました。当時と同じ⽬線で海を眺めて歴史ロマンに思いを馳せてみてください。
「御城印」とは、お城に訪れたことを記念するポストカードです。⾦⾕城の魅⼒を⼀枚に盛り込んだ、⼭城ガールむつみさんデザインです。TJK リゾート⾦⾕城の売店で売ってます (税込み 330円)。